
5人の子どもたちを育てるわが家。
毎日が賑やか(というより、もはや戦場)ですが、そんな生活を支えてくれている大きな存在が、車で30分ほどの距離に住む私の両親です。
70歳前後になった両親は、今も元気に過ごしてくれています。
多子家庭のわが家にとって、その存在はまさに「最後の砦」のような心強さです。
直近の1年間は夫が育児休暇を取っていたこともあり、実家にヘルプをお願いする回数は多くありませんでした。 それでも、いざという時の実家のパワーには、これまで何度も救われてきたのです。
例えば、末っ子の出産時。 お昼過ぎに突然破水した私に代わって、母がすぐに駆けつけてくれました。 「このときばかりはどうか、お願い…。」 その安心感のおかげで、夫も無事に出産に立ち会うことができました。
これまでも、産後の食事作りや、夫の夜勤が重なる日の泊まりがけのサポートなど、数えきれないほどの「手」を貸してもらってきました。
私自身は二人兄妹で育ったので、正直なところ「5人の育児」がどれほど過酷なものか、両親も最初は想像がつかなかったはず。 それでも二人は、私たち夫婦の考えを常に尊重し、 「助けが必要なときは、いつでも言ってね」 というスタンスで、静かに、でも力強く見守ってくれています。
そんな恵まれた環境にいるからこそ、私が心に決めていることがあります。 それは、「親の善意に甘えすぎないこと」です。

「親なんだから本望でしょ?」という言葉への違和感
会社勤めをしていた頃、周囲からこんなアドバイスをもらうことがよくありました。
「実家が近いなら、もっと頼ればいいのに」 「親御さんも、孫のお世話ができるなら本望なはずだよ」
もちろん、両親が孫を心から可愛がってくれていることは、痛いほど分かっています。 呼べば喜んで飛んできてくれる、その深い愛情には感謝しかありません。
けれど、だからこそ私は、その優しさに甘えきってはいけないと思うのです。
特に、自分の仕事や生活を回すために「親の助け」を前提(マスト)にしてしまうのは、私のスタンスとは少し違う気がしていました。 今の健やかで自由な生活は、両親がこれまで長い年月をかけて努力し、築き上げてきたもの。
「その大切な時間を、孫守りという『労働』だけで塗りつぶして欲しくない」 「やりたいことをやって、自分のために時間を使ってほしい」
そんな願いが、私の根底にあります。
「疲弊」ではなく「楽しさ」を共有するために
変に距離を置くのではなく、お互いが笑顔でいられるために。
わが家では「頼り方」に自分なりのルールを設けています。

長く、健やかに、笑い合える関係でいたい
私が一番怖いのは、無理をお願いした結果として両親が健康を損なったり、孫と会うことが「義務」や「重労働」になってしまうことです。
もちろん、実家との距離感や家族の事情は、家庭の数だけ正解があると思っています。
両親が近くにいて、手助けまでしてくれる。 今のわが家の状況が、決して当たり前ではなく、非常に恵まれた環境にあることは十分に自覚しています。
世の中には、ご両親が遠方にいらしたり、介護が必要だったり、あるいは様々な事情で頼ることが難しいご家庭もたくさんあるはずです。
だからこそ、私はこの「恵まれた環境」を消費し尽くしてしまわないように、大切に守っていきたい。
私にとっての親孝行は、両親に役割を押し付けることではなく、二人が自分たちの努力で手に入れた「今の健やかな生活」を、目一杯楽しんでもらうことだと思っています。
「親なんだからやってくれて当たり前」ではなく、助けてもらうのは「有り難いギフト」。 そう考えるようになってから、たまにお願いするヘルプが、より一層、特別な感謝の気持ちで溢れるようになりました。
さて、明日は久しぶりに家族揃って実家へお泊まりしてきます。車で30分という距離だからこそ、普段は日帰りが多くなりがちですが、今回はあえての「お泊まり」。
もちろん、5人の孫が泊まるとなれば、両親の疲労も相当なもの。 だからこそ、食事の準備や片付け、下の子たちのお世話は自分たちもしっかり参加する。両親には「孫との楽しい会話」という美味しいところ中心に存分に味わってもらおうと計画しています。
「じいじ、ばあば、また来てね!」 そんな笑顔でバイバイができるように。
支援の形は千差万別ですが、皆さんのご家庭にとっても、無理のない「心地よい距離感」が見つかりますように。 明日もまた、家族みんなが笑って過ごせる一日になりますように!