5人の子どもたちを育てていると、毎日はまさに怒涛の勢いで過ぎ去っていきます。
早く大きくなって、手が離れてほしい!
と、白目を剥きそうになる瞬間ばかり。
けれど、ふとした瞬間に 「あぁ、もうあの頃には戻れないんだな」 と、足元にこぼれ落ちた成長の跡を見つけて、ほんの少し寂しい気持ちになるときがあります。
今日は、私が5人を育てる中で特に「ここまで来たんだ」と深く感じた、3つの節目についてお話ししようと思います。
苦い薬を「ごくん」と飲めるようになったとき

最初の一歩は、『飲ませる』から『飲む』への大きな変化。
赤ちゃんの頃、薬を飲ませるのは、親にとっても子にとっても一大イベントでした。
わが家が辿ってきたステップを振り返ると、まるで小さな階段を一段ずつ上るようです。
ステップ1
シロップを哺乳瓶の乳首に入れて吸わせる
ステップ2
スポイトで口の端から、泣き顔を伺いつつ少しずつ流し込む
ステップ3
大好きなヨーグルトやアイスに混ぜて「お願い、一口だけ!」と祈る
そんな試行錯誤の日々を経て、ある日。 自ら粉薬を口に含んで、お水で「ごくん」と飲めるようになったとき。 「あぁ、ようやく、ここまで来れた……」 と、胸の奥で静かに、でも熱く、小さな拍手を送るのです。
さらに成長して、錠剤をひょいと飲めるようになると、もう一段階上の「自立」を感じます。 それは頼もしくもあり、「もう私の必死な工夫は必要ないんだな」と、少しだけ寂しくなる瞬間でもあります。
「オムツ」がいらなくなる、という大きな節目

次に大きな節目を感じるのは、やはりトイレデビュー。 これは育児における、ひとつの大きな「自立の象徴」かもしれません。
新生児サイズから始まり、S、M、L……。 パンパンに膨らんだオムツを日に何度も替え、ゴミ箱がすぐにいっぱいになっていた、あの目が回るような日々。
サイズが「ビッグ」になり、やがてトレーニングパンツを経て、ついに一人でトイレへ。 「もう赤ちゃんじゃないんだな」 という事実が、視覚的に、そして重みとして突きつけられます。
お出かけの荷物から、ずっしり重かったオムツセットが消え、カバンが劇的に軽くなったはずなのに。 なぜか心にはぽっかりと「乳児期の終わり」という穴が空いたような、不思議な感覚に陥るのです。

3. 「いつのまにか」卒業していた、3台の戦友
そして今、私が一番感慨深く振り返るのが、5人の成長を、ずっと足元で支えてくれた3台のベビーカーたちのことです。
特に思い出深いのは、三女と長男が小さかった頃の、2人乗りベビーカー。
双子に間違われるほど小さかった2人を、通勤前、忙しい朝の登園時、「急いで!とりあえず2人はこれに乗って!」と、まさに放り込むように乗せていました。
1人乗りだと「歩く!」「降りる!」と主張する2人が、横並びになると顔を見合わせてニコニコ、きゃっきゃと笑い合う。 それを見るのは癒やしでしたが、一方で現実は甘くありません。
2人の体重に加えて、フックには4人分の巨大な保育園バッグがずっしり。 「重たい、重すぎる……!」 と、必死にハンドルを切り、大所帯で歩いたあの時間。 振り返れば、あれがわが家の忘れられない、愛おしいドタバタ期でした。
面白いのは、ベビーカーの卒業には「今日が最後です」というセレモニーがないことです。 ある日、ふと物置を開けたとき、埃を被って静かに佇んでいるベビーカーを見て気づくのです。 「あぁ、そういえば最近、出番がなかったな」と。
「最後の日」は、いつも「いつのまにか」過ぎ去っています。 気づいたときには、あんなに重かったハンドルを握る機会は、もう二度と訪れないのです。


今、この瞬間を腕に刻む

現在、わが家では9ヶ月になった末っ子が、また一からA型ベビーカーにお世話になっています。 物置にしばらく眠っていたベビーカーを引っ張り出して、「またよろしくね」と、上の子たちのときに経験した、あの「重み」や「格闘」と共に、今まさにやり直している最中です。
けれども上の子たちがみんなそうだったように、きっとまた「いつのまにか」別れの日がやってきます。 粉薬を飲めるようになる日も、オムツが外れる日も、そしてこのベビーカーを再び物置にしまう日も。
だからこそ、ハンドル越しに伝わってくる今のこの重みを、もう少しだけ、腕にしっかりと刻んでおこうと思います。
もし、今まさに「重たいベビーカー」を押して、終わりの見えない育児に奮闘している方がいたら。 その重みは、いつかきっと、宝石のような思い出に変わる日が来ます。
明日も、私たちなりに一歩ずつ。 この愛おしい重みを噛みしめながら、楽しんでいけたらいいなと思います。
